Yuta Okadaの随想録

本州最西端の地からエキュメノポリス、東京へ

002 私

考える葦としての

友人に下ネタをふっかける

某〇〇倶楽部に笑顔でエンターする

女の子を見て「可愛い」と感じる

 

これら全てが本当になのかと考えたことはあるだろうか?(あったら変人だよ☝)

 

ひょっとすると自分の身体でさえ本当は自分の体ではなかったりしないだろうか?

 

この「懐疑」の行き着く先は恐らく「絶望」(☜大袈裟)そして「開き直り」…そんな気がする。

 

「懐疑」の段階で有名な言葉が

我思う、故に我あり

コギト エルゴ スムだ、デカルトさんの。

 

デカルトさんのその後の思想については知らない。でも、上の記述のように「開き直り」の域に達したときこそが「悟り」を開ける瞬間なのかなと思っている。


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