Yuta Okadaの随想録

本州最西端の地からエキュメノポリス、東京へ

005 常識・普通

今回は常識や普通について

なかなか慣れないですね、こうやって洞察を深めるの。

まずこれまで積み上げてきた知識の体系化がなされてない上に考えるのが嫌いな人ですから…哲学者には向いてないね(👊  ˙-˙   )

 

常識、コモンセンスってやつですね?トマス=ペイン

「君たちは新たな世界を作ろうとしているのだ(キメ顔)」

 

つまらない冗談はさておき…

常識や普通って物凄く不安定なものですよね、「その時」の状況や場所に応じてその内容がアレコレと変わってしまう
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例えば…日本ではゲップよりオナラの方が嫌な顔をされるのに、アメリカではオナラよりゲップの方が嫌な顔をされる〜とか(10年くらい前に聞いた話、事実確認はしていない)

 

これって仕方ないのね、丁度某作家の「赤い繭」なんて作品にあったように(ここからは僕の解釈を交えている、異論は認める) 

 

「ある時」はクソみたいな論理がその後は常識として受け入れられてしまう。。

 

といった風に。

 

なので常識()なんて不安定なものに縛られる必要はなくて、自由に生きればいいのだと。 

 

ここで「003自由論」のとき述べたように「他人に迷惑をかけるような事をしてはいけない」というルールは守るべきだろう。

 

http://okayu52.hatenablog.com/entry/2017/07/28/233336

004 友達とは?

友達

友達は友達、それに尽きる。

 

…は駄目なんですか?

友達とはについて思考を巡らせろと?

 

今回ばかりは思考放棄したい。°(° ˆᴗˆ °)°。

うーん、難し過ぎなんだよな〜

 

強いて言うなら…

自分に欠けたものを何らかの形で補完してくれる存在

…かな。具体例は少し友達のことを考えてみると出てきません??(出てこないなぁ?)

 自分にない良さを持ってるというか…

 

懐疑論的立場に立てば友達という存在さえも機械のように動いているものと捉えられるかもね、そんなことは有り得ないと思うが…(根拠はない)

 

眠たい時に書いたのでご容赦下さい。
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好きなことで生きられるのか?

スタートアップしたい

とかねてより言っている僕…

これまで特定の市場にこだわることなくビジネスプラン(笑)を考えていた

…が

つい最近になって初めて、自分の好きな''旅''というカテゴリーの中でビジネスプランを考えると良いのではないかと思い始めた。

 

時代を考えるとやはり「IT」とか「ウェブサービス」かなどと思考が巡る🌀

 

でも、本当に「好きなこと」で生きていけるのかな?

 

003 自由論

自由論

ですか…

難しいお題が多過ぎやしませんか??(困惑)

 

18世紀のアメフラサン(唐突)

アメリカ独立戦争

フランス革命

産業革命

から自由という言葉が現実味を帯びてきた気がしますね、僕の場合は。

 

ここで明らかなのは

「自由を手にした途端、自由を失ったこと」

とても逆説的な表現で「ファッ?!」となった方も多い筈。でも、よく考えてみると…

 

アメリカ独立戦争⇒イギリスさんから政治的な独立を果たした⇒今度からは自分たちで国家を運営しなければならない💧

 

フランス革命絶対王政が打倒された⇒今度からは自分たちで国家を運営しなければならない💧

 

産業革命⇒レッセフェール(自由放任主義)⇒自分たち(産業資本家)の手で国の経済を守らなければならない💧

 

つまり僕が何を言いたいかって言うと…

 

自由の裏には責任がある。また、権利の裏には義務がある。

だって多いでしょ?自己中心的で過度に自由を主張する人

例えば…「ブンブーンッ、へへ、バイクの音を轟かせて街を走り抜けるぜッ🚲」

バイクで楽しく走るのは自由であり権利だ、でも同時にうるさくして他人に迷惑をかけることのないように振る舞う義務もある(モンスターペアレントf※※k)

公共の福祉ってやつね、

 

もう書くの疲れたのでここで終わっ~完~

 

002 私

考える葦としての

友人に下ネタをふっかける

某〇〇倶楽部に笑顔でエンターする

女の子を見て「可愛い」と感じる

 

これら全てが本当になのかと考えたことはあるだろうか?(あったら変人だよ☝)

 

ひょっとすると自分の身体でさえ本当は自分の体ではなかったりしないだろうか?

 

この「懐疑」の行き着く先は恐らく「絶望」(☜大袈裟)そして「開き直り」…そんな気がする。

 

「懐疑」の段階で有名な言葉が

我思う、故に我あり

コギト エルゴ スムだ、デカルトさんの。

 

デカルトさんのその後の思想については知らない。でも、上の記述のように「開き直り」の域に達したときこそが「悟り」を開ける瞬間なのかなと思っている。


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001 考えるということ

唐突な「001 考えるということ」というタイトル

100l”z•zŠ

このサイトの100のお題について考えようと思いましてね😅

 

第一回目は「そもそも考えるとは何なのか」という問い

 

手元にあった辞書では次のように定義付けられていた …

①物事について、論理的に筋道を追って答えを出そうとする。思考する。

②さまざまなことを材料として結論・判断・評価などを導き出そうとする。

 

むむ?①は合理論で②は経験論っぽいな?

 

 僕は演繹法(合理)と帰納法(経験)のこの二つが必要不可欠と考えていたけど、似たような結論だっただ☝

 

哲学者でも何でもないのでこの先については考え切れないのだ☝グピャ

 

まあ、

 

考えることをしたいなら

「論理的に考える力を養うことも大切だけど、書を読むなり活動をしてみるなりして知識や経験を積み重ねることも大事なんだと。どちらか一方に偏ったところで何も生み出せない。」と✋
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