006 芸術
遂に来ましたね
芸術
(°∀° )/(°ω° )/(°Д° )/
ウェルテルくん(おかゆ)は才芸に秀でた者なので✋
河合塾の青木先生に触発されてね、世界史の勉強をする時はお絵かきをしてるんだ(´-ω-)
芸術は心を豊かにするものだね、なあに自分が描く必要はない。見るのも楽しい、
ほら↓
聖ソフィア聖堂
ブルーモスク
少し世界史になるけど聖ソフィア聖堂は元々
ユスティニアヌス帝の命で建てられたビザンツ様式の最高傑作ですの。でも、横に生えてる棒はミナレットと言ってイスラームのモスクになった時に生えてきたんだ(?)
そう、あのオスマン帝国の時代に😻
ブルーモスクはもうこの世の建築物の傑作ではないかと思うくらい圧倒的迫力💥がありますね。
見るだけでも興奮が止まらないし幸せな気分に…
芸術は人を幸福にさせる素晴らしいものだ…と思いきや
こちらはそうもいかない。ドイツ軍の空襲により破壊されたゲルニカ、、
悲惨さを心に直接訴えてくる
芸術の力は絶大ということ
実際に世界史選択者は知っているであろうビザンツ皇帝レオン三世による聖像禁止令、あれはつまり芸術の力を使ったローマ・カトリック教会による布教活動に歯止めをかけるために発令されたもので、芸術の力の絶大さを示しているとも取れる。
将来平和を訴える機会があれば、是非とも芸術の力を使いたいものだ。
許してくだせえ🙏
これまで5つのテーマについて考察(笑)してきたわけですが、いつも見直してみるとハチャメチャなことを書いてしまってるわけで😅
許してくだせえ🙏🙏🙏
沢山批判する場所があると思うので、そこを見つけては自分なりの考えをもって批判してみる(実際に投げかけなくてもイイデスヨ)のはどうでしょう??
005 常識・普通
今回は常識や普通について
なかなか慣れないですね、こうやって洞察を深めるの。
まずこれまで積み上げてきた知識の体系化がなされてない上に考えるのが嫌いな人ですから…哲学者には向いてないね(👊 ˙-˙ )
常識、コモンセンスってやつですね?トマス=ペインの
「君たちは新たな世界を作ろうとしているのだ(キメ顔)」
つまらない冗談はさておき…
常識や普通って物凄く不安定なものですよね、「その時」の状況や場所に応じてその内容がアレコレと変わってしまう
例えば…日本ではゲップよりオナラの方が嫌な顔をされるのに、アメリカではオナラよりゲップの方が嫌な顔をされる〜とか(10年くらい前に聞いた話、事実確認はしていない)
これって仕方ないのね、丁度某作家の「赤い繭」なんて作品にあったように(ここからは僕の解釈を交えている、異論は認める)
「ある時」はクソみたいな論理がその後は常識として受け入れられてしまう。。
といった風に。
なので常識()なんて不安定なものに縛られる必要はなくて、自由に生きればいいのだと。
ここで「003自由論」のとき述べたように「他人に迷惑をかけるような事をしてはいけない」というルールは守るべきだろう。
好きなことで生きられるのか?
スタートアップしたい
とかねてより言っている僕…
これまで特定の市場にこだわることなくビジネスプラン(笑)を考えていた
…が
つい最近になって初めて、自分の好きな''旅''というカテゴリーの中でビジネスプランを考えると良いのではないかと思い始めた。
時代を考えるとやはり「IT」とか「ウェブサービス」かなどと思考が巡る🌀
でも、本当に「好きなこと」で生きていけるのかな?
003 自由論
自由論
ですか…
難しいお題が多過ぎやしませんか??(困惑)
18世紀のアメフラサン(唐突)
③産業革命
から自由という言葉が現実味を帯びてきた気がしますね、僕の場合は。
ここで明らかなのは
「自由を手にした途端、自由を失ったこと」
とても逆説的な表現で「ファッ?!」となった方も多い筈。でも、よく考えてみると…
①アメリカ独立戦争⇒イギリスさんから政治的な独立を果たした⇒今度からは自分たちで国家を運営しなければならない💧
②フランス革命⇒絶対王政が打倒された⇒今度からは自分たちで国家を運営しなければならない💧
③産業革命⇒レッセフェール(自由放任主義)⇒自分たち(産業資本家)の手で国の経済を守らなければならない💧
つまり僕が何を言いたいかって言うと…
自由の裏には責任がある。また、権利の裏には義務がある。
だって多いでしょ?自己中心的で過度に自由を主張する人
例えば…「ブンブーンッ、へへ、バイクの音を轟かせて街を走り抜けるぜッ🚲」
バイクで楽しく走るのは自由であり権利だ、でも同時にうるさくして他人に迷惑をかけることのないように振る舞う義務もある(モンスターペアレントf※※k)
公共の福祉ってやつね、
もう書くの疲れたのでここで終わっ~完~
002 私
私
考える葦としての私
友人に下ネタをふっかける私
某〇〇倶楽部に笑顔でエンターする私
女の子を見て「可愛い」と感じる私
これら全てが本当に私なのかと考えたことはあるだろうか?(あったら変人だよ☝)
ひょっとすると自分の身体でさえ本当は自分の体ではなかったりしないだろうか?
この「懐疑」の行き着く先は恐らく「絶望」(☜大袈裟)そして「開き直り」…そんな気がする。
「懐疑」の段階で有名な言葉が
我思う、故に我あり
コギト エルゴ スムだ、デカルトさんの。
デカルトさんのその後の思想については知らない。でも、上の記述のように「開き直り」の域に達したときこそが「悟り」を開ける瞬間なのかなと思っている。